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【思い出】beatmaniaIIDX きっかけから皆伝受かるまで(2.中伝合格~皆伝合格)

 

この記事は自分がbeatmaniaIIDXを始めてから皆伝合格するまでの思い出をそのまま書いた記事です。

※本記事は中伝~皆伝までの思い出を記載した記事となります。

※『きっかけから十段まで』を記した記事も併せてご覧いただければと思います。

ch19.hatenablog.com

 

 

 

 

プレイスタイル迷走期・中伝(23 copula)

PENDUALで行脚もやりきり、ここからは地力上げするのみ・・・でも皆伝が遠すぎる・・・

と思っていた矢先に中伝が実装されます。

目指せ中伝!ということで地力上げに勤しんでいましたが、成長が止まったかと思うぐらいに全く上手くならないスランプ時期に突入します。

どうにかしてでも上手くなりたい・・・その思いが弐寺人生で一番意味不明なことをやり出します。

 

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???

謎にSUD+HID+プレイを始めます。

なぜこんなプレイを始めたのか、一応理由は覚えてます。

☆12をやるときに目線が下がりがちだったのを矯正するために始めたのがきっかけです。

・・・いやいやこんなんで上手くなるわけが・・・

 

 

SUD+HID+で中伝受かってしまいました。

SUD+HID+にしてからランプ更新することが非常に多く、これが最適解だ!と勘違いしてしまいそのまま続けてプレイしてしまっていました。

こうして異端ながらも中伝が実装された作品で中伝を取得することは出来ましたが、これがのちの中伝剥奪とモチベーション低下に繋がっていきます・・・

 

***その他思い出***

Copulaは初めて海外で弐寺を触った作品になりました。

国は香港とマカオ

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宿から一番近かった香港のゲームセンター

 

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香港の"有楽町"内にあるゲームセンター。ここではDIVAACをプレイしました。

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マカオ唯一のゲームセンター

海外でのゲーセン行脚に絞った中での一番の思い出は

マカオのゲームセンターに開店凸しようとしたら音ゲーコーナーだけ開いておらず、片言の英語とジェスチャーで『IIDXどこですか』と聞いて音ゲーコーナーを開けてもらったことです。

言語の通じない国で薄暗い店内で店員を探して片言の英語で話しかけるのって結構勇気要りますからね。記憶にすごく残ってます。

この時、自分も含め三人で開店凸したはずなのに、なぜか一人で聞きに行ったという謎の行動力発揮してました。 昔の自分すげーな。

 

また香港・マカオ行きたいですね。行ける日がくるんでしょうかね・・・

 

ということで、Copulaはちょっと変わった思い出が残った作品でした。

 

中伝剥奪・DP開始(24 SINOBUZ)

 SUD+HID+で中伝を取ったのち、作品が変わりSINOBUZが稼働します。

SINOBUZも前作に引き続きSUD+HID+プレイを続行していましたが・・・ここで悲劇が襲います。

 中伝3曲目に『JOMANDA』が入り、ソフランが裁けず中伝が取れないという事態になりました。

 

SUD+HID+に慣れすぎてた当時の自分は元のプレイスタイルに戻すのが非常に難しく、プレイ回数は熟すものの、地力はほぼ上がらず辛い時期が続きました。

プレイスタイルを戻すついでにBMSを導入して無理やり地力を上げたりしてなんとかモチベーションを維持しつつプレイしていました。

 

そんな中、この年のKACでDP部門が初開催ということに影響されDPを触り始めます。

DPは特段言うことがないのですが、元々右手が片手処理得意だったというのもあってか、七段まで5ヶ月足らずで行けました。

 ・・・が、SINOBUZのDP八段は1曲目にニーソ姫(超絶足切り曲)が入ってることで

全く歯が立たず、その後DPのモチベーションは低下していきます。

 

SINOBUZ終了するまでに900回以上プレイはしていたものの、結局中伝に復帰は出来ず、DPもモチベーション低下しつつある状態で次作稼働となるのでした。

 

 

***その他思い出***

Copulaに続いてまたロケテの話ですが、

次作のCANNON BALLERSは巷では『ロケテ中止寺』なんて呼ばれることもあり、ロケテの中でもかなり有名になった作品でもありますが、

実はロケテ中止が発表され、途中でロケテが終了した際、自分はロケテ会場の筺体の目の前でプレイ待機していました。

 

 

朝早くから並んだにもかかわらず、目の前でロケテ中止を告げられプレイを打ち切られるのは流石に笑うしかなかったのを今でも覚えてます。

このときにもらった整理券は今でも大切に保管しています。なんで保管してるのかよくわからないです。

 

中伝復帰(25 CANNON BALLERS)

 新作稼働はいつもワクワクして仕事が終わったらすぐにゲーセンに駆け込みプレイするのが習慣でした。

しかし、25 CANNON BALLERS稼働時は違いました。

 

普段からホームとしていたゲーセンで新作が稼働することはありませんでした。

数週間後、お店は閉店を迎え、お店のあった場所は今も更地のままとなっています。

このゲーセンの閉店はモチベーションに大打撃を与え、この後CB稼働後半まで殆ど弐寺をプレイしなくなります。(当時メイプルストーリーにハマっていたのも要因の一つ)

 

 ・・・月日は流れ、CB稼働終了時期直前になって、昔ライバルにしていた方々が地力を上げ帰ってきたのを見てモチベーション復活!

そして、26 Rootage稼働1週間前になんとか中伝に復帰!

 

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CB終了時のクリアランプ状況

 

SUD+HID+の悪夢を乗り越え、なんとか通常プレイスタイルで中伝に復帰することが出来た作品となり、モチベーションも高いまま次作へと移ります。

 

 

 

プレイ環境の変化(26 Rootage)

 RootageはCBからの勢い止まらず、中伝はなんなく合格!

皆伝に向かって日々☆12のランプ埋めに勤しむ中、4月から1年間 福岡への出張が決定。

新しい場所での仕事に加え、弐寺の環境も以前とは異なる環境でプレイをしなければならない状態となりました。

ただ、福岡にはDDRのKAC出場者の大学の先輩がいたことがきっかけで、4月から8月頃まではDDRお熱期間でした。

 (曲と曲の間に休憩時間がなかった頃。しんどかった)

 

その間も弐寺は触っていましたが、モチベーションが完全にDDR弐寺だったため、地力は落ちないものの成長もしないという日々が続いてました。

結局DDRは八段1曲目のモンビジが出来ず、また福岡でDDR始めたときに知り合いとてもお世話になった方が福岡を離れてしまったこともあり、そのままDDRのモチベは下がり弐寺へと戻っていきました。

 

DDRをやらなくなったことで、福岡での自宅から一番近いゲームセンターに寄ることが非常に多くなり、弐寺もそこをホームとしてプレイするようになります。

ただ、ホームとしていたゲーセンの筐体がいわゆるガチムチに近い筐体で、当時の公式デフォルトほどではありませんが、おそらくスイッチ0.98N バネ20gが採用されている筺体でした。

鍵盤は重いですが、遠くまで行くよりかは近いお店でやりたいという思いのほうが強く、ひたすら重い鍵盤でプレイしていました。

 

(このあたりから所謂『やってなかったけど何故か上手くなってる』症状が発生。

立ち位置や脱力の仕方・皿の上手な回し方など、上達するコツを少しずつ掴んできた時期だったかも?)

 

 (※気のせいでした)

 

この頃から筺体にこだわってプレイをするようになります。

プレイ環境の固定化が地力上げに最も有効だと感じたからです。

そのおかげもあってか、Rootage終了時には☆12のハード以上が130曲を超えていました。

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Rootage終了時のクリアランプ状況

 

敢えて重い鍵盤に絞ってプレイし続けることを行っていった結果、次作の新筐体稼働で覚醒します。

 

LightningModel稼働・運指変更(27 HEROIC VERSE)

27 HEROIC VERSEが10月中旬に稼働。2ヶ月後の12月中旬には待望の新筐体 LightningModelが稼働となりました。

LightningModel稼働前に仕様が少しずつ明らかになっていく中で、120fps対応!皿の重さ調節可能!といった目玉機能が並ぶ中、鍵盤の重さが0.49N/50gであるということが判明。

 

そうです。普段から触っている鍵盤よりも少し軽い程度の鍵盤ということです。

 

これが自分にドンピシャな重さであることは、実際にライトニング筺体を触って体感しました。

鍵盤やモニター、皿については当時賛否両論ありましたが、個人的にはすべてが大当たりでモチベーションも地力も爆上がりでした。

そして何より、ベースが同じ筺体が全国に共通して設置されているということが、ここから地力が爆伸びする1つの要素となります。

それはRootageのときに意識していたプレイ筺体の固定化です。

 

旧筐体ではプレイ環境に左右されることに影響受けやすかったですが、ライトニング筺体が出たことで別のお店でもほぼ違和感なくプレイすることが可能になりました。

また、ライトニング筺体と旧筐体とでは明らかにゲーム内容が変わることもあってか、筺体ソムリエも割りかし受け入れられている印象もあります。

これらは出張が終わった7月以降、関東に戻ってきてから非常に実感した内容です。

ライトニング筺体が出ていなかったら、バラバラの筺体でプレイスタイルを固定することが出来ず、おそらく地力は停滞していたんじゃないかと思います。

 

ラッキーなことに福岡はライトニング筺体の設置店舗が非常に多く

福岡でホームとしていたゲーセンにもライトニング筺体が入荷され、

更には深夜5時まで営業しているお店にもライトニング筺体が入荷されていたので

今振り返ればプレイ環境は最高な状態でした。また福岡住みたいなぁ。

 

・・・

そんなモチベ爆上がりのライトニング筺体でプレイをし続ける毎日でしたが・・・・

4月。全国でお店が一斉休業となります。

 

この頃は仕事で夜勤をしており、夜勤上がりに眠くなるまで弐寺をやるのがルーティンとなっていましたが、休業によりそれが崩れることになります。

休業中も指は動かさないといけないという使命感とルーティンを崩したくないという思いから、福岡在住中にポチったエントリーコンを取り出し、自宅でBMSやINFINITASをyoutubeに垂れ流し配信をしつつプレイしていました。

 

特に誰か見に来てコメントくれるわけでもないので、ひたすら垂れ流し配信して後で自分でプレイ内容を見返すために配信を続けていました。

そんなある日、配信中にハードした渚の小悪魔の手元を見ていて気づきました。

www.youtube.com

・・・・・なんか左手おかしくない?

特に皿絡み後の運指を戻す際に隙が多くなっているのが目立っている・・・

 

昔から皿曲は得意な方でしたが、皿絡みはそこまで得意ではありませんでした。

その理由としては左手で3鍵をフォローできないことが要因でした。

3鍵は基本右親指でフォローしていましたが、☆12の物量ともなるとフォローしきれない場面が多く出てきていました。(トリカゴノ鳳凰やエルフェリアなど)

そのため、絶対に左手で3鍵をフォローしないとダメな時期が来るのは自分でも理解していました。

また、対称固定運指ではあるものの、左人差し指で4鍵をフォローできないというのも昔から引っかかっており、運指の変更はいつかしないといけないという思いはありましたが、地力の低下を恐れて踏み出せていませんでした。

 

運指の練習をしないとここからは絶対に伸びない・・・

動画を見てそう思い始めます。

 

そしてこの考えに辿り着きます。 

 

ゲーセンが休業中で強制的にアーケードを触ることが出来ない環境の今が運指矯正する最大のチャンスなのでは・・・?

ゲーセンが開いている状態で運指矯正を行った場合、アーケードでの地力の低下によるモチベーションの低下ですぐ運指を戻してしまう可能性がありますが、そのゲーセンが閉まっていたら地力の低下を感じることは殆どないのでは・・・と考え、ついに運指矯正することを決意します。

 家での運指矯正はそこそこ順調で、運指矯正5日目にしてProofをハード出来るぐらいにはなっていました。

 

その後、福岡の休業期間は思っていたよりも早く終わり、運指矯正を始めて1週間でゲームセンターが営業再開します。

そして、運指矯正後初のアーケード

 

初日はかなり絶望を味わいました。

・1048に変えたことで左手で何押してるのかわからない状態に陥る

・手が小さくて皿を取りながら3鍵を取るのがギリギリ

・ライトニング筺体の皿の側面が擦れて痛い

 ・皿と1鍵の同時押しが上手く押せない

 

・・・などなど、手首皿に移行し始めた人たちあるあるの現象を身を以て感じました。

 

 

ただ同時にライトニング筺体と1048運指に慣れていないだけの問題であることも理解したため、この日から可能な限りほぼ毎日ライトニング筺体で☆12を触るようにしました。

 

そして運指矯正を始めて1ヶ月で、運指矯正前の地力を超えることに。

 

・・・この運指矯正は地力向上への道を築き上げた一つの要素で、

あのタイミングで運指矯正を始めたのは非常に良かったと思います。

運指矯正って導入部分でどれだけ諦めないで頑張れるかが重要ですからね。

意志の弱い自分はゲーセン休業が良い方向に働きました。

 

運指矯正を行うにあたって意識した点や課題曲等は、別記事でまとめる予定です。

 

ここからは怒涛の☆12ハード埋めが始まり、HV終了時には☆12ハード数が296曲と前作から160曲以上増えていました。このうち100曲以上は運指矯正した後に増えたものです。

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HEROIC VERSE終了時のクリアランプ状況

 

 

運指矯正後のクリアランプ状況はとても好調で、このまま皆伝まで突っ走れるか?!と思っていましたが、

やはり皆伝はそう上手くいかず、冥まではたどり着けるものの加速地帯で落ちる日々が続きます。

(始めてブインブインまで行けた時の動画。この頃は低速までで大分回復出来てました)

 (1ヶ月後のHVラストの皆伝受験。嘆きも卑弥呼も冥も徐々に下手になってきてメンタル削られっぱなしでした・・・)

 

結局HVでは皆伝は合格出来ず、次回作に持ち越すことに。

 

 ***その他思い出***

HV稼働時は福岡に住んでいたので、これをきっかけに福岡県内の弐寺設置店舗を行脚していました。

あまり観光などしませんでしたが、レンタカーやカーシェアを借りて一日中行脚したりしてました。

また、エリア行脚については九州と沖縄を制覇。

沖縄に至っては弾丸日帰りで沖縄本島内の弐寺設置店舗をすべて行脚しきるなんてこともやりました。

 

PENDUAL以降あまり一人で行脚することは多くなく、逆にここまで自由に行脚だけに絞って出来るのもこれが最後じゃないかなと思っています。

沖縄行って観光地回らずにゲーセンだけ行くなんて、一人じゃないと絶対に出来ない行動です・・・・

 

皆伝(28 BISTROVER)

前作で惜しくも皆伝を取れず、28 BISTROVERが稼働。

稼働開始時は皆伝がないため、ここからはひたすら☆12のハード特攻とエクハ特攻をする日々に。

皆伝が実装されたときに合格できるよう意識したプレイを心がけてほぼ毎日ライトニング筺体で鍵盤を叩き続けました。

その他にも白数字を変更したり、☆12のソフラン曲のエクハチャレンジなど、低速でもプレイスタイルを維持できる姿勢・メンタルを鍛えることを中心にプレイしていました。

 

しかし、その後在宅勤務要請によりライトニング筺体を触れない期間が増えてしまい、そのタイミングで皆伝が実装されてしまいました。

今作初の皆伝チャレンジは・・・

 

本調子ではなかったため、想定通りダメでした。

少しでもやらなくなるのと一気に出来なくなるのが弐寺の怖いところ・・・

今作も皆伝やっぱ無理かなぁなんて思い、メンタル削られそうになっていた矢先

数日後に合格への光が見え始めます。

 

 

当時は難所を抜けたのに落ちたことへのショックが大きかったですが、

逆に言えばそこまで行けているのであれば、もう合格は目の前だというポジティブ思考で数日後に弐寺を触りに行きます。

 

そして・・・

 

弐寺を始めてから約9年。ついに皆伝合格することができました。

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皆伝合格時の冥。加速地帯おそらく10%ぐらいは残ってたかも

 

 

 

 

この日はプレイするときの体制や立ち位置、譜面を見る箇所を変えたりしていた日で、その影響で新規ハードもついていました。

また、STEPUPモードで冥をランダムでやった際に加速地帯での目線移しの感覚を僅かながら掴めていました。

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STEPUPモードの模擬試験での冥(ランダム)。見直したら皆伝合格時とBP全く一緒・・・

 

この日は調子が良かったというよりは、その時に自分にあったプレイスタイルを頭の中で理解し維持することが出来ていたというのが勝因だと思います。

 

・・・

在宅勤務が主流となり、ゲーセンに出向く機会が少なくなってきていたため、

皆伝取れていないことで少し焦りがありました。

やる頻度が減る前に皆伝を取得できて本当に良かったなと感じています。

 

余談にはなりますが、手首皿習得後から皆伝取得までにプレイスタイルやメンタル面で意識した点が非常に多くありました。その辺りは別記事で書きたいなと思ってます。

書きたいもの多すぎる。文章力ないのに。ああ。

 

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2021/01/30時点のクリアランプ状況

 

あとがき

弐寺歴9年の思い出を勝手に振り返ってみましたが、

なんだかんだ一番メンタル的にキツかったのはtricoroの六段時代だったような気がします。

ただ、段位に受からないストレスは多かったものの、当時はライバル達とワイワイプレイすることが多く純粋に弐寺を楽しんでいたのもあって乗り越えられたんだなと思います。

一人でやってたら多分ここでやめてました。

 

実際、期間だけでいえば中伝から皆伝が一番長かったですが、意外とそこまで苦だったことはなかったかなと思います。

歳を重ねたことで精神的部分が落ち着き、調子が悪くてもそこまで凹まないで入られたのも大きかったかもしれないですね。

 

ただ、Copula~SINOBUZのSUD+HID+プレイは今振り返っても迷走しすぎだと思います。

迷走、ゼッタイダメ! 

 

・・・

皆伝を取得したことで、大きな目標というのは無くなってしまいました。

モチベーションも以前よりは多少少なくなってきていますが、まだまだ☆12の未難50曲以上ありますし、伸びしろは感じています。

ただ、一度皆伝に合格したという実績はこれからのプレイスタイルに大きく影響してきそうだなと予感としてあります。

少なくとも今作は皆伝としてあまり使命感持たずにまったりプレイしていきたいなと思っています。

 

・・・想定していたよりも長文となってしまいました。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

ちくさんの今後の活躍に乞うご期待!